—史実— based on a True Story
1585年3月23日———
その日、ローマはかつてない熱狂の渦に包まれていた。 大地を震わせて轟く300発もの祝砲。 ローマ市民は沿道に出て、数百人にもなる軍楽隊や騎馬隊の豪華絢爛な大パレードを歓迎。その行列の中心は日本人の少年たちであった。彼らの胸元で十字架の首飾りが揺れる。幾万もの碧い瞳が、東洋の少年たちをみつめた。
ヨーロッパがルネサンスと宗教改革を迎えた大航海時代、日本では織田信長が君臨していた。 各地の諸侯が狭い領土を奪い合う戦国の世で、彼だけが世界に目を向けていた。
日本に赴任したイエズス会の巡察使ヴァリニャーノは、日本人の少年たちをキリスト教の中心ヴァチカンへ派遣し、ローマ法王に謁見させる壮大な計画を思いつく。
「東洋に日本あり」と知らしめたかった信長。 東洋における布教の支援を得ようとしたヴァリニャーノ。大人たちの思惑が絡み合う中で少年たちの大冒険が始まった。
実に2年半もの大航海。 嵐に遭い、海賊に襲われ、様々な困難を乗り越えてヨーロッパへ。 ポルトガルのリスボン、スペインのマドリード、そしてイタリアへ。 フィレンツェでは、爛熟の文化に衝撃と感動を覚え、 メディチ家主催の舞踏会で初めてのダンスをビアンカ公妃と踊る。
彼らにとって別世界の初体験が続く。ローマ入城の壮大なパレードを経て、 遂に法王謁見という使命を果たす。それは世界を席巻したヨーロッパ社会に、日本という国が初めて広く認知された歴史的瞬間だった。
この絶頂の時、少年たちは知る由も無かった―――。 日本では、キリスト教徒への迫害が始まりつつあったことを。
歴史の渦に飲み込まれていく少年たち。 二十歳を過ぎた彼らは日本に向かう。 そこは新しい覇者となった秀吉によりバテレン追放令が打ち出された日本。何もかもが様変わりしていた。キリシタン禁制の世の中で、キリスト教徒への大弾圧が始まろうとしていた。